暇(満)人の日記

ダイエットと読書について記事にします

ローマ帝国の経済

ローマ帝国の経済は、商業中心のギリシアとは対称的に農業中心の経済でした。これはローマがギリシアと違い広大な土地を持っていたことが関係しています。3度にわたるポエニ戦争によってさらに農業地帯を手に入れて世界の穀蔵になったのです。

中国貨幣の起源

中国貨幣は、殷王朝の時に始まりました。当時は貝殻を使っていたそうです。タカラガイの貝殻で、中国の黄河流域では産出されないため十分な希少価値がありました。この希少価値がお金としての機能を果たしたのです。

本日は寒くなる

暑さ→大雨と続き、本日は季節外れの寒さとなるそうです。先週末の癖で七分袖を羽織って出かけると風邪につながる可能性があります。皆さん気をつけてください。

ドラクマ貨幣

アレクサンドロスがアジアに大帝国を築いたのは有名な話です。彼はドラクマという貨幣も作っていたそうです。その貨幣がアジア中に流通しました。イスラーム世界ではドラクマを語源としたディルハムという貨幣がつくられ、現在でも使われている国があるそう…

スパルタは貨幣経済を否定

アテネと並ぶ都市国家であるスパルタでは、貨幣経済を認めなかったそうです。貧富の格差が広がり且つあらわになる要因となりうるからです。そのためスパルタでは戦争における軍の結束力は良かったものの、支配をギリシア全土に広げれなかったようです。

ペルシア戦争の背景

ペルシア戦争ではアテネが勝利しました。その勝利の背景には意外にもアテネの経済発展があったのです。市民たちが余った農作物を貨幣に替え、その貨幣で武具を買うという方法で重装歩兵がたくさん集まったのです。

暑かった

昨日は物凄い暑さでした。時期的にジャージ上を着ている人が私も含めて多かったと思うので体感はもっと暑く感じたと思います。この暑さは今日まで続く予報が出ています。明日からは一転、雨天が続くようです。体調には気をつけてください。

硬貨の誕生

経済史に新たなターニングポイントが訪れます。硬貨の誕生です。それまでの物品交換や銀と違い、重さを量る必要がない事や大きなものを運ぶ必要がない事が強みとなりました。現代の硬貨を普通だと思ったらいけないかもしれません。

本日の気温

本日は春~初夏のような気温になるようです。今までの癖で上着などを羽織っていると汗をかくかもしれません。くれぐれも体調には気を付けてください。

経済の始まり

今回は貨幣が生まれる前の話です。古代では狩猟によって果実や肉を採取して物々交換するのが普通でした。しかし日持ちしないのが課題でした。そこで穀物や家畜を交換対象とするという発想に至りました。果実や肉と比べて日持ちする為ある程度は課題克服でき…

経済史の全体像

世界経済の歴史では、大航海時代が大きな節目になったそうです。各地の銀山で採れた銀が世界中に出回ったからです。やがて今のアメリカのように世界経済の覇権を握る国まで現れました。詳細は次回以降公開しようと思います。

雨天の行方

昨日から続いている雨天。予報では今日の午前中まで続くようです。雨に関しては午後からは止むものの、風は強いようです。出勤に関しても行きは雨に、帰りは強風に気をつけようと思います。

冷戦の終結②

ソ連では更に災難が起きます。チェルノブイリ原発事故です。事故を隠蔽しようとしたのですが、放射能の影響を受けた周辺国の訴えによって明るみになりました。こうしてソ連の信用は更に失墜し、冷戦どころでなくなったところで冷戦終結を宣言しました。

冷戦の終結①

冷戦終結のきっかけとなる2つの出来事が起きます。ベトナム戦争とプラハの春です。まずはベトナム戦争。ベトナムがソ連の影響で社会主義国になるのを阻止するためにアメリカが攻撃を仕掛けたのです。次にプラハの春。ソ連において民主化運動が起きたのを、兵…

冷戦の名残

冷戦第二ラウンドは朝鮮が舞台です。日本の植民地から解放されたからといって、すぐに独立できたわけではありません。ドイツが東西に分割されたように、朝鮮は南北に分割されました。北は北朝鮮としてソ連側、南は大韓民国としてアメリカ側につきました。ド…

冷戦第一ラウンド

冷戦第一ラウンドの舞台はベルリンです。ベルリンの東側はソ連が支配し、西側はアメリカが支配していました。ソ連軍は西側に兵糧攻めを図っていましたが、アメリカの空輸策によって失敗に終わったようです。これによってドイツが東西に2分しました。

国際連合の始まり

第二次世界大戦を経て、ついに国際連合が生まれました。戦勝国のアメリカ・中国・ソ連・フランス・イギリスを常任理事国とする組織で、この5国は強い権限を持っています。しかし敗戦国は日本も含めてしばらくの間加盟できなかったようです。そして後に、ア…

第二次世界大戦後の世界

ここからは第二次世界大戦後の世界の歴史についての話になります。国際連盟が国際連合に変わる、冷戦の2点がメインになると思います。そしてここから現代に続くのです。詳細は明日以降公開しようと思います。

満州国の建国

日本の中国進出の拠点として、満州国を建国しました。清の皇帝から追い出された人物を執政につけたことからも、巧みだったことが分かります。しかし後にリットン調査団の調査によって、満州事変の非は日本にあるという事が証明され、日本は国際連盟を脱退し…

辛亥革命

孫文は、中国を良くするには清王朝滅ぼし新たな民主主義国をつくる必要があるとしました。そうして建国されたのが中華民国です。清王朝は袁世凱に命を出して中華民国を滅ぼそうとしましたが、袁世凱自身が内通者であり逆に裏切られました。

日清戦争で日本が勝利した要因

日清戦争当初、日本は格下の国という認識を持たれていました。そのため兵器の質が同等だという事も相まって、清が優勢だといわれていました。しかし兵士の質で日本に負けました。日本は訓練した部隊であるのに対し、清はそこらの市民を寄せ集めただけの集団…

洪秀全

イギリスとの不平等条約の結果、銀が大量に流出するようになった清。当然経済は混乱します。減税もしようとしません。そこで立ち上がったのが洪秀全です。新しい漢民族の国を興そうと動いたのです。清の正規軍は他国の力を借りないと戦争できない状況だった…

アヘン戦争の後

イギリスは南京条約の内容に満足しませんでした。北京港が開港されなかった事、イギリスが本当に売りたかった絹織物を輸出する事が出来なかったからです。そこからアロー戦争、天津条約、北京条約を経て満足のいく内容となりました。

アヘン戦争

貿易制限の撤廃に応じられなかったイギリスは、インドから中国にアヘンを輸入させ、インド経由で銀を取り戻すという三角貿易を図りました。これがアヘン戦争に発展し、結果イギリスが勝利しました。講和条約によって香港が奪われるようになった反面、貿易制…

清とイギリスの貿易

清で作られたお茶がイギリスで人気だったようです。イギリスへの輸入品の大半がお茶になり、供給不足にまでなったようです。そこで清は貿易制限をして、対価として銀を要求しました。当然イギリスは反発します。

清王朝の衰退

清王朝は初期は栄えていましたが、晩年は衰退の一途をたどりました。清王朝後期に何度か革命が起きようとしましたが、いずれも失敗に終わったようです。そして中華民国が誕生しました。詳細は次回以降公開しようと思います。

ガンディーの功績

第一次世界大戦時、インドは独立を条件にイギリス軍への協力を要請されていました。インドはそれに応じ協力しイギリスが勝利しましたが、事実上は独立できなかったようです。そこで立ち上がったのがガンディーです。当時イギリスの独占販売品だった塩をネタ…

東インド会社

東インド会社はインドと名がついていますが、インドでなくイギリスが運営していました。当初は貿易担当だったものの、貿易の必要が無くなった後はインド統治機関になってしまいました。イギリスの文化を押し付けられる事に(特に肉の事)当然反発が起きました…

トルコの父

トルコの父といわれている人物、それがケマルです。ケマルはトルコの独立の為にオスマン帝国に戦争を仕掛けるなど尽力しました。そしてオスマン帝国を滅ぼしトルコ共和国の樹立を宣言します。政治も当時としては民主的だったようです。

ロシアのオスマン帝国進出

衰退していくオスマン帝国にロシアが南下政策をしてきます。ロシアとオスマン帝国との間に2度戦争が起き、1回目はオスマン帝国が勝利しますが、2回目はロシアが勝利してしまいます。ロシアが世界的に強国になると同時に、世界的に近代化が進んだ瞬間でもあ…